鎌倉と室町時代・・・
志津城は臼井城の支城のひとつで
千葉氏一族志津次郎胤氏(たねうじ)の居城でした。
幼くして城主となった臼井城主である兄の子「若竹丸」を亡き者にと野心をいだき
一度は臼井城主となりますが、乳母に助けられやがて成人した
若竹丸は名を興胤(おきたね)と改め、本領を回復し臼井城へ戻ります。
志津城に退去させられた志津次郎胤氏は主従の礼を怠り、やがて兵を向けられ滅亡。
志津城落城時、胤氏のかわりに薙刀(なぎなた)をふるって戦った妻君の武勇伝が
領民に末永く伝えられ、讃えられています。
一説には胤氏は帰農したともいわれ、この地域に
志津姓が多いのは、その末裔だとも言われています。
近年、この地から室町時代の骨つぼ(かめ棺)が発見され、城主
志津次郎胤氏のものでは?と、関係者の間で話題になりました。